常設展 十三の展示→1「池内岳彦」12345678910111213



IMAGE伊丹十三(本名・池内義弘)は、1933年(昭和8年)5月15日、映画監督伊丹万作(本名・池内義豊)、キミの長男として京都市に生まれました。2歳のときには「殿様の赤ちゃん」役として父の映画に出演、“映画デビュー”を果たします。幼い頃から絵を描くのが大好きで、大人も驚くほど達者な絵を残しています。中学校時代の観察日記を読めば、その文章力にも並々ならぬ才能を感じられます。
 展示されている野菜の静物画をご覧ください。この絵は小学校1年生のときに描いたもの。ちょっと驚きですよね? 左隅の「池内岳彦」のサインにもご注目ください。親から日常的に呼ばれていたのは「義弘」の本名ではなく、「岳彦」の名前だったんです。
 池内家では、男子の名前に「義」の一字を入れるのが代々の習わしでした。しかし父・ 万作はそれを受け継ぐつもりはなく、いったんは岳彦と命名しようとしたものの、祖父・義行の強い意向が働いて、戸籍上は「義弘」と名付けられることになったそうです。でもふだんは「タケヒコ」「タケチャン」と呼ばれ続けました。その通称は、幼年時代にとどまらず、親しい間柄では生涯にわたって使われていたそうです。






常設展 十三の展示

● 展示(1):池内岳彦
● 展示(2):音楽愛好家
● 展示(3):商業デザイナー
● 展示(4):俳優
● 展示(5):エッセイスト
● 展示(6):イラストレーター
● 展示(7):料理通
● 展示(8):乗り物マニア
● 展示(9):テレビマン
● 展示(10):猫好き
● 展示(11):精神分析啓蒙家
● 展示(12):CM作家
● 展示(13):映画監督
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◆ 企画展をのぞく
野菜の絵
 伊丹十三が小学校一年生の頃に描いた野菜の絵。
 父・伊丹万作の元に、友人である俳人・中村草田男が訪れた際、万作がこの絵を自慢し、草田男もあまりの上手さに感心して貰って帰ったというエピソードが残っています。

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松山東高校の集合写真
 1951年、松山東高等学校での集合写真。上から2列目、右から2人目が伊丹十三ですが、まわりの生徒と違って、制服や制帽を着用しておらず、また髪も長いことが分かります。
 既存の概念や周りの目にとらわれず、自身の流儀を貫く姿勢はこの頃から。

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