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伊丹万作は
自分に誠実な人であった。
自分に非常に厳しい人であった。
自分に嘘のつけない人であった。
―伊丹十三
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● 現在の企画展



◆ 過去の企画展をのぞく
「お葬式」(2007/05-2008/12)
「マルサの女」(2008/12-2010/12)



◆ 常設展をのぞく

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丹十三(池内義弘・通称岳彦)は、1933年、伊丹万作(池内義豊)の第一子として京都に生まれました。
『國士無双』、『赤西蠣太』など、脚本家・映画監督として活躍していた万作でしたが、肺結核にかかり、長いの闘病の末、1946年、十三が13歳の時に亡くなりました。反抗期に父を喪ったため、非常に長い間、父に対して複雑な思いを抱いていたと後年明かしています。
しかし、十三自らも二児の父となったこと、精神分析に傾倒したことから、「父の父の言葉を子に伝える役割」に目覚め、父として芸術家としての万作について語り綴るようになります。
十三が残した言葉を手がかりに、万作という人物と、彼の業績をご紹介します。
伊丹十三は万作の遺品を大切に保管し、万作の記念館を設立したいという構想を持っていました。当館はその予定地だった場所に建っています。この企画展が伊丹十三の意志を実現するまたとない機会となるよう祈りつつ、みなさまのご来館をお待ちしております。
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『伊丹万作の名言集bot』はじめました
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| 協力: |
日活株式会社 東京国立近代美術館フィルムセンター 町立久万美術館 株式会社伊丹プロダクション |
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2010 年12 月20 日(月)〜 2012 年12 月(予定) 休館日…毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始 |
| 会場: |
伊丹十三記念館 企画展示室 |
| 料金: |
大人800 円、高・大学生600 円・小・中学生400 円 (※ 常設展・企画展共通) |
| 注:展示品の内容は四ヶ月ごとに入れ替わる予定となっております。ご了承ください。 |
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映画監督として有名な伊丹万作ですが、若い頃には挿絵画家「池内愚美」として活躍した時期がありました。のちに盟友となった映画監督・稲垣浩によると「竹久夢二か池内愚美かというほどに憧れの画家だった」そうです。
洋画家としても岸田劉生に素質を認められながら、最終的には絵の道を断念して映画界に身を投じていきました。
画道に打ち込むべく人気挿絵画家の地位を捨てて行き詰った万作は、1926年、松山に帰省しておでん屋を開きましたが経営に失敗。翌年、借金を抱えて無一物となり、友人宅に身を寄せて過ごしました。《櫻狩り》は松山中学の友人・宮内一乗宅に寄寓していた時期に描かれたもので、宮内は生涯この絵を手元に置き自宅に飾っていたそうです。町立久万美術館のご協力による期間限定の特別展示です。
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 友人 吉野一雄の妻を描いた油絵「吉野夫人像」(1927年)。

 町立久万美術館蔵 「櫻狩り」(1927年) ※5月14日(土)から7月11日(月)まで
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1928年、万作は片岡千恵蔵プロダクションの創立に参加、脚本家・監督デビューをはたします。千恵プロの「明朗時代劇」に独自のユーモアとするどい批評性を加えたモダンな作風で、知性派監督として名を馳せました。
貴重なデビュー作や手描きの装丁がほどこされた直筆シナリオ、監督作品の映像を展示します。
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 『赤西蠣太』(1938年)の手書き台本。
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長男・岳彦(のちの伊丹十三)、長女・ゆかりが誕生し、二児の父となった万作でしたが、1938年、結核に斃れ、亡くなるまでの8年間を病臥して過ごすことになりました。
病床の芸術家は神経質になることも多かったようで、「叱られた記憶しかない」と十三は語っていますが、子供のために手作りしたいろはがるたや岳彦の誕生日に書かれた詩からは、万作が厳しくもあたたかい子育てを実践していたことが伝わってきます。
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 オリジナルの芭蕉いろはカルタ。 市販のカルタの裏側に、手描きの絵と俳句が描かれている。
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