記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2024.07.22 夏といえば水泳、の話

初蝉から1週間あまり。
セミの合唱が日に日にボリュームを増す今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

20240722_black cicada.JPG正午頃からクマゼミたちは数時間のシエスタ・タイム。
朝と夕方の歌合戦はすごいですよ~

いよいよ四国も梅雨が明けたそうで、本格的な夏が到来しました。

夏になりますと、独特の苦い思い出が胸の奥で疼くような気がします。
個人的な事情なのですが、たぶん、原因は「水泳」の授業。

水の中で目を開けることができなかったのと、鼻や耳に水が入る不快感に我慢ならなかったことに加えて、浮く気がまったくしなかったんですよねぇ......
海の近くの小学校で、達者に泳げる同級生たちに囲まれて、4年生の秋口まで泳げませんでした。
(昭和の義務教育ですからしょうがありませんけれど、ゴーグルの使用が認められていたなら、もうちょっと早く泳げるようになっていたんじゃないかなぁ、と思います。)

私の父は運動神経抜群、しかも、子供に教えるのが大好きだったのですが、そんな父にさえ匙を投げられたカナヅチの私が、なぜ小4にして突如泳げるようになったのか、と申しますと、「なんか泳げる気がした」というだけで、指南書を読んだとか特訓を積んだとかといったタネや仕掛けはないのです。
ゆえに、カナヅチを克服できた具体的な理由もよく分からないし、泳ぎのコツを説明することもできません。それで何とはなしにカナヅチ・コンプレックスが心に居座り続けていて、夏の苦みにつながっているのかもしれません。

水泳といえば、伊丹エッセイを読んでいて「おお、ナルホド!」となったエピソードがあります。

 うちの斜向いはプラザ・ホテルで、二十四階建てである。その屋上プールで、あるイギリス人俳優に水泳を教え始めた。

 今日は浮き身を練習しよう。
 いいかね、まず水の中で仰向きになる。
 体の力を抜いて楽な気持ちよ。ただ背中だけはうんとそらす。それから顎もうんと持ち上げる。足はバタ足と同じ、しかし沈まない程度にゆっくりでいいよ。
 それから腕はね、自然に下におろして、ゆっくり左右に開いたり閉じたりする。そのとき大事なことはね。腕を外へ開いてゆく時は手のひらをちょっと外へ向けるようにする。閉じてくる時はちょっと内側へ向けるようにする。手のひらが真横に水を切ったんじゃ浮力が生じないよ。

 

伊丹十三「和文英訳」『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫より)

そっか! 水泳の授業のごくごく最初のほうで教わる「蹴伸び」、うつ伏せの姿勢でやらされたから顔を水につけるのが怖い子は脱落しちゃってたけど、必ずしも「伏し浮き」じゃなくっていいんだ。恐怖心やパニックから水泳が嫌いになるよりも、仰向けで浮くほうが楽しそう、これはいいですよね。


「今年はプールへ足を運んで、ただひたすらに浮き身を満喫してみようかな」「大人になったのだから"楽しみ直す"のもよき嗜みとなるのではないか」と考え始めています。
(松山のみなさん、この夏、水に漂うカッパのような四十路女を市内のプールで目撃したら、あたたかく見守ってくださいね。)

ところで。先に引いたエッセイには続きがあります。
「イギリス人俳優に水泳を教え始めた」とありますよね。つまり、英語で教えることになるわけでして――

 という工合にやろう、と思ったんだけど、これがむつかしい。なんだこんな簡単なことと思う人は、これを読むと同じくらいのスピードで訳してみい。しかもイギリス人やアメリカ人がごろごろしている前で大声でこれをやるんだからねえ。第一仰向きになるというのは英語で何というか、バタ足はどういうことになるか、手のひらをちょっと外側にむける、というのはどうか、水の上で掻いたんじゃ何にもならん、というのもむつかしいではないか。(中略)
 英語に対する自信が一遍に凋んでしまうのはこういう時なのです。

これまた確かに......
イギリス人俳優氏、伊丹さんとともに言葉の壁を乗り越えて、無事に泳げるようになったのでしょうか。
そんな疑問もわいた2024年の夏の始まり、8月を前にバテバテの方が多いことと存じます。皆様どうかお健やかにお過ごしくださいますように。

20240722_shizukasaya.jpgしずかさや 岩にしみ入る 蝉の声
なんとも愛嬌のあるセミですよね。アブラゼミかな?
併設小企画『伊丹万作の人と仕事』「手作り芭蕉かるた」展示中です―

学芸員:中野

2024.07.15 アーティチョーク植え付けのその後

記念館便りをご覧の皆様こんにちは。
ここのところ雨が続く松山です。

営業には支障なく、伊丹十三記念館は通常通り開館しております。

さて、今から約3年前、2021年10月18日の記念館便り において、わたくしは『アーティチョーク』の苗をプランターに植えつけたことをご報告させていただきました。


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画像:3年前植え付けたアーティチョークの苗


https://itami-kinenkan.jp/tayori/2021/10/005007.html
2021年10月18日 記念館便り『アーティチョーク』



アーティチョークとは、伊丹さんが著書『ヨーロッパ退屈日記』の中で、茹でて食べると美味しい野菜(ハーブ)として紹介しているものです。


20240715-0.5.jpg画像:伊丹さんの描いたアーティチョークの蕾の絵
(ヨーロッパ退屈日記の挿絵)


わたくしはこの日の記念館便りの最後に『収穫できましたら、記念館便りにてご報告させていただきますので、期待してお待ちください!』と大きなことを言っておりましたが、この後このアーティチョークについて一度も触れずに今日までやってきました。


お察しの通り、このあと、わたくしはこの苗を枯らします。



それからしばらく経ち、長年の伊丹十三記念館メンバーズ会員様であるO様から、新たにアーティチョークの苗をいただきました。



紆余曲折ありまして、こちらが成長した2代目アーティチョークです。5月下旬撮影。

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画像:5月下旬のアーティチョーク。蕾はソフトボール大の大きさです。
(O様その節は誠にありがとうございました、
あの日O様からいただいた苗はこんなに大きくなりました)


今にして思えばこれくらいで収穫するのがよろしかったのだと思いますが、うっかり収穫時期を逃してしまい、、、約1ヶ月後、6月下旬のお姿がこちら。

20240715-3.jpg20240715-4.jpg画像:6月下旬の開花したアーティチョーク。



花を咲かせてしまいました。アザミの仲間、と以前の記念館便りにも書いておりますが、その通り、アザミの花を大きくしたような花が咲きました。(正直ちょっと怖い)



ということで、本日はずっと気がかりだったアーティチョーク植え付け後の顛末をご報告させていただきました。



アーティチョークの蕾はお店で売っていることもありますので、見つけたら皆さんも買って、茹でたあと伊丹さん流に「小皿にオリーブ油を入れて、これにレモンを少々絞り、ブラック・ペパーをたっぷり、塩を少量振りかけてドレッシングを作る。食べ方、などといっても格別のことはない。アーティショーの葉っぱを、外側から順に一枚ずつむしってはドレッシングにつけて食べ」てみてください。



スタッフ:川又

2024.07.08 小銭貯金

早くも7月の2週目に入ってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。気温が高く、湿気の多いむしむしとした日が続いております。連日、熱中症警戒アラートが発表される地域も多いので、体調を崩さないようにお気をつけてお過ごしください。

 

s-IMG_6428.jpg記念館の回廊でも暑いと感じるようになってきました。

それでも、風が吹くと少し暑さが和らぎます。

 

つい先日、新紙幣の発行がされ始めたというニュースがございました。

20年慣れ親しんだお札とは徐々にお別れになるかと思うとなんだか寂しいような、不思議な感覚です。

 

お金といえば、印象的なエッセイで伊丹さんが100円玉を貯めていたというお話がございます。『再び女たちよ!』に収録されている、「百円玉」です。

 

 私は、実は百円玉をためているのです。

 ある日、酔っぱらって家へ帰ってきたら、上着のポケットが百円玉で一杯だったんです。

 お釣りにもらった百円玉を使わないで、買物をしたり勘定を払ったりするたびに、次次に新しく千円札を出したんでしょう。気がついてみたら、上着のポケットの中が、ザクザクと百円玉だったんです。

 私は台所へいって水を飲み、水を飲んだあとのコップの中へ、百円玉をあけてみました。

 ポケットの中で重かった百円玉も、こういうきっちりした円筒形に纏めてみると、案外嵩の小いもので、やっとコップの半ばを満たすだけでしたが、それでも、コップ半分の百円玉というのは、なにがなし宝物めいて見えるものなんですね。私はなんだか金持ちになったような気分で、そのコップを枕元に置いてみました。

 ネ? なんとなくいいじゃありませんか。

(『再び女たちよ!』より、「百円玉」)

 

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この後、エッセイでは、何かの折にこの100円玉貯金を使おうとするけれど、不思議に惜しくなって使えない。そして100円玉を貯めているコップが一杯になったので灰皿に変え、今度は灰皿が一杯になったので大きな皿に変え、またもや大きな皿が一杯になったので巨大なガラスの壺に、と100円玉を貯める容器が段々と大きくなるのですが、最終的に使用が出来ないままというエッセイでございます。

やり始めたらとことんやるという伊丹さんの性格が良く表れているエッセイで、惜しくなって使用できないところなどに親近感が湧いてきます。

 

そんな伊丹さんの100円玉貯金、かなり貯めていたものと読み取れますが、それを使用していると思しき映像が、現在の企画展示でご覧いただけます。それがスペシャル映像コーナーで上映しております、『遠くへ行きたい』第39回「伊丹十三・宮本信子の京都㊙買物情報」ダイジェスト版です。この回では、伊丹さんが支払いの時に100円玉で支払う映像が何度か出てまいります。ダイジェスト版となっておりますので、ご覧いただけるのは上映している映像の中で一か所だけとなっておりますが、ご来館の際にはぜひ、映像をご覧になって探してみてください。

「これだけ持ち歩くとかなり重いのでは......」と思う量の100円玉がさらりと登場しております。

 

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余談ではございますが、私もつい昨年まで500円玉貯金をしておりました。セレクトショップで赤い手のひらサイズの象の貯金箱に一目ぼれしてから、4万円ほどになるまで貯めていたのですが、友人へのプレゼントや家電の購入など、比較的大きな支払いが続いて中身を使いきり、その時から500円玉貯金を辞めてしまいました。

新紙幣が発行されたニュースを見たタイミングで1000円札貯金を始めるか、はたまた500円玉貯金を再開するか、少々迷っております今日この頃です。

 

s-IMG_6440_1.jpgこの貯金箱はフィンランドで作られています。

北欧で象は「幸福の象徴」なのだそうです。

 

 

学芸員:橘

2024.07.01 宮本館長が出勤いたしました!

記念館便りをご覧の皆さま、こんにちは。
今日から7月ですね。これからどんどん気温も高くなってきますので、くれぐれも体調には気をつけて日々をお過ごしください。

さて、以前の記念館便りでもお知らせしておりましたとおり、6月26日(水)に宮本館長が出勤いたしました!

当日、朝は小雨が降るなどぐずついた天気の日でしたが、それでも出勤時刻には雨が止み、宮本館長の出勤に合わせてご来館くださった方や記念館のメンバーズ会員の方、また、出勤のことをご存じなく来館されて「いらっしゃいませ!」と受付で宮本館長に迎えられびっくりされる方――などなど、たくさんのお客様にお越しいただきました。

お客様と宮本館長はお話をして一緒に写真を撮ったり、お買い上げくださったグッズにサインをしたりと楽しそうに過ごされていました。少しですが写真でその様子をお知らせいたしますね。

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お客様との時間の他にも、記念館の建物やグッズ売り場のチェックなど、常に大忙し!の宮本館長ですが、合間には、中庭のベンチで一息をつくこんなひとときも。

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午後には、記念館の元スタッフの先輩方も駆けつけてくれて、より一層にぎやかな時間となりました。改めまして、当日記念館にお越しくださった皆さま、本当にありがとうございました。

次回の出勤予定は、決まり次第ホームページなどでお知らせいたします。お楽しみに!

----<カフェ・タンポポよりお知らせ>----

本日7月1日より、期間限定メニュー「豆乳ブルーベリー」(税込700円)を始めます!
冷凍したブルーベリーと豆乳をミックスし、さわやかな酸味をお楽しみいただけるドリンクです。カフェ・タンポポにお立ち寄りの際はぜひご賞味ください。

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スタッフ:山岡

2024.06.24 『お葬式』誕生40周年!

学生時代のバイト仲間で同い年の友人から手紙をもらいました。嬉しく読んでいると「私たちも、あっちゅう間にアラフィフ」との文字......「ハッッ!!」ではなく、「エッッ!?」となった中野です。
「アラフィフなんて、そんなはずないっ」とまでは申しませんが、忘れちゃうんですよね、自分の年齢。光陰矢の如し、とは言うものの、ちょっと速すぎやしないでしょうか――

さて、今年2024年は、伊丹十三の監督デビュー作『お葬式』の製作・公開から40年のアニバーサリー・イヤーです!

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『お葬式』は、1983年秋に伊丹十三が義父(宮本館長のお父さん)の葬儀を経験したことから発想された作品で、服喪中の年末年始でシナリオが書きあげられました。
年明けには準備稿台本が印刷されて、スタッフ編成、キャスティング、予算組み、と瞬く間に準備が進められ――

1984年6月2日(土)、いよいよクランク・イン。7月18日(水)にほぼクランク・アップ。
編集ダビング作業を経て、8月26日(日)の夜、湯布院映画祭で初めて一般の観客向けに上映され、11月17日(土)封切り。映画館に大勢の観客が詰めかけ全国で拡大上映されるにいたった大ヒットぶりは、一種の社会現象に。
"異業種"監督として注目を集めた伊丹十三でしたが、その後も続々と映画作品を発表し、誰もが認める映画監督となったのでした。

という怒涛の一年だったわけですが、調べてみました。40年前の今日、1984年6月24日(月)、新人監督・伊丹十三は何をしていたのでしょうか?

撮影から湯布院映画祭にいたるまでの日々を記録した『「お葬式」日記』(文藝春秋、1985年)には、このように記されています。

6月24日
曇り。湯河原ロケ。ラストの仏壇。続いて遊動円木の千鶴子。編集材料にこと欠かぬよう、十種類ほどのアングルで撮りまくる。昨日のラッシュの影響もあり、現場での材料収集にはかなり用心深くなっている。
遊動円木の撮影では揺れる被写体をカメラが追うわけだが、被写体の揺れとカメラの振りをあわせると、揺れの両端で静止状態ができてしまう。
それを避けるためには、カメラの折り返しを、被写体の折り返しから一瞬遅らせねばならぬのだが、これを米造氏*1に説明するのが難しく、大いに手古摺る。「勉強になりました」と米造氏。
夕景狙いで、シーン4の、きく江、たおれた真吉*2を介抱し、布団を敷く段。最初にこのシーンをトライしたのはクランク・インの日だった。あれから二十日余り、二人とも随分役になったものだ。自分のほうも二人につける動きが自由に湧いてくる。
きんさん、ラストの挨拶、もう一度やりたいよし。こちらも昨日のラッシュを見て、背景を変えてもう一度やりたいと思っていたところだ。(芝居はOKなのだが、きんさんの背景が曇り空で、白バックになってしまったのである。今度はもう少しカメラの位置を高くして、緑バックでいければと思う)

 

*1:前田米造さん(伊丹映画全10本のうち8本に撮影監督として参加したキャメラマン)
*2:配役はきく江=菅井きんさん、真吉=奥村公延さん。宮本館長演じる千鶴子の両親

「二人とも随分役になったものだ」と伊丹さんは書いていますが、「ベテラン俳優につける動きを自由に発想したり、キャメラマンに意見したり、二十日余りで伊丹さんも随分カントクになったように思いますよ~」とわたくしは考えるのであります。

202406241_osoushiki diary.jpg1日分の日記で上に引用したほどのボリュームなのですから
1冊全体ではとんでもない情報量です!

それにしても、40年、ですか。
嬉々として映画館に通っていた大学生の頃、私が好んで見ていた「昔の映画」の中には、当時から約40年前(1960年前後)に作られたものがたくさんありました。
年齢を重ねるうちに今昔の感覚が広がったことが少し影響しているのかもしれませんが、今から40年前に作られた『お葬式』から「昔の映画」という感じを受けたことはありません。また、伊丹映画全般について「古さを感じさせない」「何度見ても発見がある」とは、多くの方がおっしゃっていることです。


作品そのものにみずみずしい生命が宿っている、作品そのものがひとつの生命体のように出来あがっている、そういう映画だけが時代を超えていけるのだろうと思います。

そんな映画を作り続けた伊丹十三の創造力の源に触れていただける記念館、ワクワクと楽しんでいただける記念館であり続けられるよう、なおいっそう努めてまいります。
暑い日も雨の日も(火曜日以外は)開館して、お客様をお待ちしております!

202406241_yonezou san.jpg記念館限定販売のDVD『13の顔を持つ男』には
遊動円木のシーンの撮影を振り返っての
前田米造さんのインタビューが収録されています。必見!

学芸員 : 中野

<雑誌掲載情報>

【発売中】ヘリテージ刊「昭和40年男」vol.85

5 月11 日発売(奇数月11 日発売の隔月刊) 本体定価900 円+税

特集連載「タイム・トラベル」で1984 年の出来事・カルチャーを紹介。映画監督・伊丹十三の誕生のいきさつと、デビュー作にして大ヒットとなった『お葬式』が取り上げられています。
全体特集は「俺たちが愛した昭和洋画」。誌名にあてはまらない世代の方も女性も、映画好きならどなたでも楽しめるコンテンツ満載の一冊です。

【近日発売】キネマ旬報ムック「キネマ旬報の100年

7月27 日発売 本体予価3,000 円+税

監督第10 作『マルタイの女』完成直後、映画作りについて伊丹十三が大いに語った1997 年の対談記事が再掲されます。お相手は野上照代さん。数々の黒澤明作品でスクリプター、プロデューサーを務め、伊丹万作亡き後には岳彦少年の"保護者" 役でもあった野上さんとのプロフェッショナルにしてざっくばらんな映画談義をご堪能いただけます。
そして、父・伊丹万作の随筆「僕の一番苦しむもの」も、1935 年新春特別号の<映画作家一言集>の中の一篇として再掲。
厳選された過去の名記事多数、映画の黎明期から続く『キネマ旬報』の歴史が約400ページに凝縮された豪華ムックです。日本映画史における伊丹父子の存在感にも触れられることでしょう。